桜美林大学ではキリスト教センターと共にチャプレン(牧師)の先生方も学生生活をサポートしております。チャプレンとお話がしたい、相談がしたいという方はお気軽にチャペルアワーにご参加ください。
土橋 敏良(どばし としよし)
学園チャプレン ? キリスト教センター長
私が育ってきた時代の日本は、みんなで足並みをそろえ、官僚がトップダウンで政策をつくった世界で、一個人は自分の考えを明確に持たなくてもいいように道筋が立っていました。
でも今や、私たちは個人の時代を迎えています。考えるための道筋がないとフレームすらつくれません。これからの世界に適応するため「どうやってものを考えたらいいか」という基準を習得しないと、国も企業も、そして個人も生き抜けない時代を迎えています。
けれども本当の意味で、「考える」ことは独りではできません。互いに認め合い、信じ合える仲間たちと出会い、助け合って学び、共に生きる体験の中でこそできることです。そのために桜美林大学があり、キリスト教センターが存在しています。
人々の幸せと真の平和を願っていた清水安三先生、その創立者を慕った桜美林の先輩たちが築いてきた伝統の中で、営々と「考える力」が育まれてきたといっても過言ではありません。「学而事人」をスクールモットーとする桜美林大学は、そのような伝統や体験をもっているのです。
「個人」は弱い存在です。不安を解消したり、自分を認め、他者を受け容れ、未来を信じる心を育てることは独りではできません。それは、あらゆる恐れと闘ってきた創立者や先輩たちの伝統、「せんかた尽くれども希望を失わず」前進している仲間たちの勇気、血縁を超えた家族的なつながりの中でこそできることです。桜美林大学ならびにキリスト教センターはそのような現場を大切にしています。いわゆる“原理主義”を超えた、真の普遍主義を目指す宗教間の対話も、これからの時代は不可欠です。桜美林大学のもつ精神的豊かさを享受しながら、皆さんと手を携えて、信じ合えるたくさんの仲間たちと出会っていきましょう。
嶋田 律之(しまだ のりゆき)
リベラルアーツ学群教授?キリスト教教育センター長
私はこれまで、日本とドイツで長い学生生活を送り、その後、町の教会の牧師として、また、幼稚園の園長先生として、また、老人施設の運営に携わり、そして、今、桜美林でチャプレンとして、といった具合に、いろいろな人生の変遷を重ねてきました。しかし、その中でも、小学校の卒業記念として両親から貰った聖書を、反発しながら、あるいは、感動しながら、ずっと読み続けてきた事だけは変わらないことでした。そして今では、聖書に出会うことができた事を心から感謝しています。というのも、聖書は私の色々な移り変わりの激しい人生を一つの「すじ」をもったストーリーとして肯定的に見させてくれるからです。桜美林の皆さんにも、人生に一本「すじ」を通すことの出来るような聖書との出会いのためにお役に立ちたいと思っています。
Jeffrey Mensendiek(ジェフリー メンセンディーク)
ビジネスマネジメント学群准教授
私はアイデンティティの問題に興味があります。日本で育ったアメリカ人として、二つの文化の間で生きてきたからです。さらに、17歳のとき、インドで大きな出会いが与えられ、南北の視点で自分の人生を考えるようになりました。二つの違う世界の間に立つことは時として辛いこともありますが、そこに私の役割があると感じてきました。
薛 恩峰(しゅえ えんふぅん)
リベラルアーツ学群准教授
佐原 光児(さはら こうじ)
芸術文化学群准教授
人生は出会いの連続です。人との出会いもあれば、様々な出来事に直面し、喜びや悲しみと出会う(経験する)こともあります。そうした出会いが「自分」という人間を形作っていきます。
わたしもこれまで、一人の人間として、日本とアメリカでの教会の牧師として、キリスト教主義学校高校教員として、そしてこの桜美林大学で多様な人と出会ってきました。特に北カリフォルニアにある日系教会で働いていた時に出会った人々(第二次世界大戦時に収容所を経験した日系人1世、2世)は、わたしの人生観に大きな影響を与えました。苦境の中、人はどのように互いを励まして前を向くことができるか、また信仰共同体がそこで果たす役割について教えられた気がします。
ギリシア語で「人間」は「アンスローポス」といいます。「アナ」(上)と「プロスオーポン」(顔)が合わさった言葉ですが、ここに人間とは「自分ではない上空(大いなるもの)に顔を向けて生きる存在」という理解が見えるように思います。そして聖書にはそうした物語が数多く描かれています。
桜美林で、そうした自分を形作る「出会い」、神や上空に「顔を上げる」体験をたくさんしてほしいと願っています。
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