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- 2025年度
- 御巣鷹山事故から40年 藤田ゼミが現場で学ぶ航空安全の原点
御巣鷹山事故から40年 藤田ゼミが現場で学ぶ航空安全の原点

10月12日(日)、ビジネスマネジメント学群藤田克己ゼミ(エアライン?ホスピタリティ研究室)ではゼミ活動の一環として、2年生8人、3年生8人の総勢16人で御巣鷹山を訪問しました。昨年に続き2度目の訪問となりました。
御巣鷹山は、1985年8月12日に日本航空123便がこの山の尾根に墜落し、520人の尊い人命を失ったことで知られています。
藤田教授は元日本航空の社員で関連会社の代表取締役も歴任しましたが、御巣鷹山事故を経験したのは入社5年目のことでした。当時、藤田教授は日本航空のB747運航乗員部でパイロットのスケジュール管理の仕事をしており、事故の際には事故機パイロットの世話役を担当していました。

藤田ゼミではJALフィロソフィを2年生秋学期から3年生春学期にかけて学んでいます。その中に御巣鷹山事故に関する項目があり、藤田教授が当時の体験談を話すうちに、現地を訪問したいと考える学生が多く現れたため現地訪問を行うようになりました。
藤田教授は授業内で「航空安全には三現主義(現地、現物、現人)が重要」と伝えており、事故を風化させないためにも現地に行って現物を見て現人(事故に関わった人)の話を聞くことを大切にしています。
「学生が自分の眼で見て、身体で感じて、何を想うか。この経験を今後の人生に活かして欲しい」と藤田教授は話しました。
当日参加した学生のコメント
川合雪菜さん(2年)
まず、想像していた以上に険しい山道でした。その中を、当時ご家族の安否も分からないまま登られた方々の心情を思うと、計り知れないほど辛く、苦しかったのではないかと感じました。整備も十分でなかった当時の山道を進むことは、肉体的にも精神的にも大変なことだったと思います。
登る途中で、機体の残骸とともに散乱していた遺品や痕跡を目にした方もいたかもしれません。それを見て「自分の家族ではないか」と思いながら捜索を続けていたのだと想像すると、自分だったらとても耐えられなかったと思います。
犠牲者は520人にのぼりましたが、その中には事故直後、まだ息のあった方もいらっしゃったかもしれません。炎に包まれ、熱さと恐怖の中で助けを待っていた方々のことを思うと、胸が締め付けられる思いでした。「もう少し早く行けていたら助かっていた命があったかもしれない」「家族に伝えたい最後の言葉があったかもしれない」と考えると、その無念さは計り知れません。
また、藤田先生から伺ったお話しの中で、遺体の一部しか見つからなかった方もいらっしゃると知りました。本当に本人の一部なのかも分からないまま、それでも「見つかった」とみなされてしまう現実に、諦めきれないご遺族の思いを感じました。改めて、この事故は本当に悲惨な出来事であったと感じました。
遺族の方々の深い悲しみや思いを決して忘れず、今回の慰霊登山で感じたことを後世へと語り継いでいくことが大切だと思います。
そして、二度と同じような悲劇を繰り返さないためにも、今一度、安全性への取り組みを徹底し、一人ひとりが「命の重み」について考えていく必要があると感じました。
秋山雲母さん(3年)
飛行機が墜落するということはどういうことか。実際に現場に行ってみて、その壮絶さが改めて分かりました。
結果論にはなってしまいますが、もちろん全員の生存が一番だったことは前提として、このような状況ならば即死のほうが良かったのではないかと思ってしまったほどでした。墜落後放り出されるなどし、斜面などで負傷したことによる死因があるのではないかと、麓のほうにまでご遺体があったことが残酷な印象として強く残っています。
また、未だに深夜であったり悪天候であったりと悪条件の場合には救助活動ができない現状がある中で、乗務員が実際の現場でできることは何があるのだろうと考えました。まだ答えは出ないけれどこれからも考えることを続けたいと思います。
若月美羽さん(2年)
今回、御巣鷹山に登り、これは決して他人事ではなく、私たち一人ひとりにとって身近で、そして忘れてはならない出来事なのだと改めて感じました。
登山の途中には、多くの方々が見つかった場所に墓標が立てられており、それぞれに故人の名前やメッセージ、思い出の品が添えられていました。それらを目にするたびに、言葉にできない静かな悲しみと向き合う時間となりました。
また、山頂では、飛行機の翼の先端が当たって削れた「U字溝」を見ることができ、事故当時の衝撃の大きさや、その瞬間に起きた出来事の重さを強く感じました。
今回の登山を通して、命の尊さや平穏な日常のありがたさを改めて考えさせられました。また、このような機会があれば参加したいと強く思います。
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