陸上競技部 駅伝チーム 主務 後藤 雄貴
みんなのモチベーションを支える。それが箱根駅伝出場へのカギ
陸上競技部 駅伝チーム 主務
後藤 雄貴 ビジネスマネジメント学群 4年
宮城県 東北高等学校出身
「1万時間の法則」。僕は10年と解釈し、10年間長距離を続けてみようと思った
小学校から長距離が得意だった。中学を経て練習の質に定評があった東北高校に進学し、高校2年までは順調に成績も伸びた。しかし、高校2年で記録が伸びなくなり、それがスランプなのか、自分の限界なのかわからず思い悩んでしまった。そんな時、高校の陸上部の先生が「1万時間の法則」の話をしてくれた。後にそれがマルコム?グラッドウェルのベストセラー『Outliers』からの引用だとわかった。内容は、人は1万時間かけるとその道のスペシャリストになれる、もしくは次の道が開けるという話だった。厳密には1日3時間で20年かかる話だが、私は10年間と解釈し、大学4年までの10年間は長距離にかけてみようと思った。高校駅伝の地区予選には2年、3年と出場したが、宮城県には仙台育英学園高校という強豪チームがあり、全国大会にはいつもあと一歩及ばなかった。
桜美林に進もうと思ったのは、駅伝が特別強化クラブであったこと、そして、経営やマネジメントを学べることだった。高校の終わりに私は足をケガしてしまい、回復したばかりの状態で初練習に参加した。他の仲間は記録こそ飛び抜けていないものの、大学で伸びるであろう選手が集まっていた。記録より素質で選ばれた選手たちのように見えた。私自身は練習についていく自信はあったが、最大酸素摂取量(VO2Max)を上げるインターバルの練習メニューが本当にきつく、置いていかれないよう必死だった。大学のスピードはやはり違う。10年間は長距離を続けるという強い思いもあり、歯を食いしばった。
大学対校戦のアップ中に交通事故に遭った。14日間意識不明となった
1年目の7月14日に8大学対校戦を迎えた。1本目に1500mを走り、2本目に5000mを走る予定だった。2本目のアップの時に、練習している他の選手と交錯しないよう歩道から外れた瞬間、後ろから来たバイクと接触してしまい、縁石に頭を打って頭蓋骨を骨折した。
目が覚めたのは2週間後の28日だった。なんの夢を見ることもなく目が覚めた。自分が置かれている状況がわからず戸惑った。ただ、意識ははっきりしていた。手足もどうやら普通に動かせそうだった。投薬の副作用からか、高熱が出たり、じんましんが出たりしたが、脳や身体機能には支障がなく、奇跡だといわれた。とはいえ、1年間留年するほどのケガだった。
退院後しばらくして練習に復帰したが、長いブランクもあって、それまで鍛えてきた体がリセットされたようだった。いいタイムを出せず、横ばいの状態が続いた。また、体のどこかが私に無理をさせてくれない、そんなフラストレーションを感じる日々が続いた。このままでは箱根路ははるか遠くに思えた。私は自分に決断を下さなければいけない岐路に立たされた。10年間は陸上を続けるという目標を捨てるのには大きなためらいがあったし、ケガをしたことを理由にやめるのは中途半端な選択のように思えた。
私はマネージャーという道を選んだ。真也加監督がマネージャーを勧めることはなかった。走ることが好きな人間に、走らない選択を勧めることは決してしない、選手の気持ちに寄り添ってくれる監督だった。時間をかけて出した結論が、やはり駅伝が好きなこと、自分の代わりに活躍してくれる仲間の面倒を見たいと思ったことだった。サポートすることも10年間陸上を続けるひとつの形だと思えた。
聞き役に徹し、一人ひとりをサポートするマネージャーへ
私はマネージャーとなって張り切った。いや、張り切りすぎた。自分の経験をはじめ、さまざまな資料に目を通してマネジメントの勉強を重ね、それを実践しようと試みた。個人データの変化にも敏感に反応した。当初は良かれと思って張り切った。しかし、ランニングほど同じように見えて個性的なスポーツはない。同じようなフォームでも疲れ方は十人十色。監督やコーチが選手にどのようなアドバイスをするのか、選手がどう応えているのか、また、選手がどう思ったのか、徹底して聞き役にまわり、どんなサポートがいいか、どんな練習メニューを提案したらいいかを考えるようになった。
ビジネスマネジメント学群の講義も、主務としての仕事に生かせることが多かった。いや、生かしたいと思って講義を聴いていたのかもしれない。桜美林はチームワークに優れている。組織で戦うといったイメージが強い。現在の宮崎キャプテンは強いリーダーシップで引っ張るというより、柔軟なファシリテーターで、一人ひとりの良さを引き出すタイプ。上下の関係を感じることなくミーティングをよく行っている。私はその中でみんなのモチベーションをいかに上げていくかという役割を担うことにした。タイムが良かった人にはなぜ良かったのか、これを続けるにはどうしたらいいか、あいまいな感覚でなく、確かな理由を探りながら次に生かせるようにサポートする。逆にスランプに陥ったらその理由を探していく。また、後輩のマネージャーたちともよく話し合い、情報を共有しながら、チームで選手をサポートできるように心掛けた。
桜美林大学の駅伝チームは寮生活をしている。私は副寮長で、生活面で選手の要望があればなるべく反映するように心掛けている。食事も管理栄養士の方の計画に基づいたメニューで、食を通しての体づくりも万全だと思う。恵まれた環境の中で選手は日々努力している。
秋にはこれまでの集大成を発揮すべき箱根駅伝予選会を迎える。その日をどのように迎えることが理想的なのか、毎日、考えながら行動している。今日も、夕日の中を美しいフォームで走っていく選手を眺めながら、「あいつ今日調子いいな」「上体を傾けずリラックスした姿勢で走っているな」など、一人ひとりの成長をチェックしながら見つめている。最高の結果が出ることを祈って。