弓道部 副務 村上 頌
スランプを経験すると、人は一段成長できると信じている
弓道部 副務
村上 頌 リベラルアーツ学群 3年
栃木県立鹿沼東高等学校出身
1年から試合に出場。1~2年は好調を維持することができた
弓道は中学生の時からやっていた。栃木県は弓道の盛んな地域で、高校は、当時県内弓道3強の一つといわれた鹿沼東高校に進んだ。高校では代表として全国選抜大会と関東大会に出場した。大学でも弓道をしたかったので、進学にあたっては桜美林大学を目指した。桜美林大学には知っている先輩が2人いて、2人からどのようなクラブか話を聞くことができたし、また、先輩は優れた指導者のもとで好成績を残していた。桜美林大学のセレクションでは20/24中の成績を残し、高校の時の実績を評価してもらい合格することができた。
「弓道の礼儀は厳しいよ」と先輩に言われた通り、1年生が学ぶべき礼儀や仕事は多かった。練習で調子が良ければ1年でも試合に出してもらえるという環境がうれしかった。私は入学してから調子が良く、秋のリーグ戦で選手として試合に出場した。結果も19/20中と好調だった。私自身は練習の調子がそのまま試合に反映されるタイプで、練習で調子が良ければ試合であまり乱れることがない。反対に練習で調子が悪ければ試合でも結果を残すことができないタイプだった。人によって違うが、スランプがだいたい3か月くらいの波でやってくる。弓道に右肩上がりの調子が続くということはあまりない。それでも1年から2年の秋まで、私は好調を維持することができ、前途は明るいと思っていた。
突然襲ってきた1年も続く長いスランプ。解決するには自分でがんばるしかない
2年の秋のリーグ戦の1回戦までは調子が良かった。しかし、自分ではうぬぼれていた覚えはないが、練習の好調さとは裏腹に試合で大きなスランプがやってきた。2回戦の20射を射る1射目を外した。最初の1射が当たるか当たらないかで、弓道の成績は大きく左右される。それほど大事な1射目だ。しかも、当たるはずの弓の引き方をしたはずなのに、それが外れたことで私はすっかり混乱してしまった。なぜ外したのだろう。その原因を探るさまざま思いが頭の中で交錯した。しかし答えが出せないまま、混乱の中で引いた弓は、その後も的を外し、散々な成績に終わってしまった。
このことが引き金となり、私は長いスランプに陥ってしまった。弓を引いて構えても、右手を離すことができない。当たる気がしないのだ。野球選手がイップス(精神的な原因で思い通りの動きができなくなる運動障害)になり、球を投げることができない状況と同じで、指を離すことができない。長いスランプを経験することになった。
好調な頃に知らずに変なクセが付いたのだろうか、射形にどこか乱れが出たのだろうか、あれこれ迷いながら考え込む。監督や先輩に相談しても、解決しなかった。なぜなら、原因は右手を引いた時に揺れてしまい定まらないからだ。それはまた、的に当たる気がせず弓を放すことができずに体が震えている状態でもある。指導やアドバイスで解決することではなく、自分で克服していかなければならないことである。一度失った自信はなかなか頑固で、復調の兆しが見えなかった。
私は強い弓を使っている。高校2年の時に自分にしっくりくる弓の強さに巡り合ったからだ。強い弓なので、1日多くても120本以上は弓を引くことができない。疲れから射形が崩れ、むしろ悪いクセが体についてしまうからだ。それでも疲れてもなお打ち込み、スランプから抜け出したいという日々が続いた。
復調の兆し。継続は力なり。今、副務の業務も気分転換になる
今、長いスランプが終わろうとしている。スランプから抜け出す完全復活の特効薬は、試合で結果を出すことだ。自分を厳しく評価すれば、まだまだ、満足いく結果を残せていない。だけど、継続は力なり。この秋、そして来年、満足のいく結果を残していきたい。そう自分に期待している。
スランプに陥っていた間、私は副務の仕事を勧められた。副務は主務の補佐である。マネージャーの仕事と言ったらわかりやすいかもしれない。私にとって気分転換になるかもしれないと勧められたものだ。副務の仕事は、弓道部の大会日時や結果を桜美林大学関係者に報告すること。そのほか、弓道部のホームページでの情報更新などを担当。新入生歓迎会などの幹事も行う。いろいろな方と連絡を取り合い、話し合い、弓道部を少しでもアピールできたらと活動していると、とても良い気分転換になっている。
秋のリーグ戦では完全復活ができるように努力している。中学から続けてきた弓道。継続は力なりと思っている。