弓道部 仲村 太一
このチームで全国制覇を狙う中核選手に成長していきたい
弓道部
仲村 太一 リベラルアーツ学群 1年
大阪府 大阪学院大学高等学校出身
礼儀を欠かせない弓道。一からその大切さを学ぶ
中学まではサッカー部だったが、大きなケガをしてしまい、フィールドを走るスポーツを諦めなくてはならなくなった。それでもスポーツをしたいと思い、見つけたのが弓道部だった。大阪学院大学高校の弓道部は大阪府の3強の一つと言われた。桜美林大学に進んだ1学年上の先輩が高校3年の時、インターハイで団体2位、個人戦4位の成績を収めた。翌年私たちも期待されたが、県大会で敗れ、私が国体選手に選ばれるだけの悔しい結果に終わってしまった。
その先輩を追うように私は桜美林大学のセレクションを受けた。当日、的中率は芳しくなかったが、射形の良さを評価してもらえたのか、合格することができた。
多くの1年生が入学して驚くのは、弓道部の「仕事」である。弓道部では、日頃の所作が的中に反映すると考えており、日常生活の規律まで「仕事」の一環として学ばなければならない。1年生は主に2年生からその「仕事」について学ぶ。的の準備の仕方、矢取り(的に放たれた矢の取り方)の順番など弓道にまつわる作法を一から学んでいく。矢取り一つをとっても、矢を射る人の心を乱すような動きをすれば、注意を受ける。少しでも心が乱れると、矢が的を外れるのが弓道。矢を射る人の心を乱さないということがいかに大切かを深く理解し、私たちは「仕事」を通して、そのことを学んでいかなければならない。
弓道は同じ射形ができない。道具のメンテナンス、準備をしっかりしている人が勝つ
弓を射る姿を射形と呼ぶが、桜美林大学には射形の見本になる先輩がたくさんいた。監督の指導をはじめ、先輩たちの射形を模倣したり、研究することで、少しずつ自分に合った射形に近づいていく。私は的中率こそ急激に上がることはなかったが、同じ的中率でも、高校の頃と今の射形はずいぶんと変わったと思う。中身が少しずつ充実していっている、そんな実感を覚えた。
弓道は同じ射形ができないといわれている。的に当てた射形を再現できたら、再び当たるはずなのに、そうできない。弦にかける指が少しでもずれていたら当たらない。しかし、多くの人が、弦にかける指が1mmずれていたなど気がつかないものである。その原因を突き詰めたとしても、それが原因なのか確信がもてない。そういう堂々巡りをする。だから、的に当たる射形を保てるように何度も練習し、しっかりと準備し、技術的な問題を事前に解決しておく。道具に対するメンテナンスなども万全にする。試合中は技術的な修正などできない。問題は精神力にあると考えた方が、集中もしやすくなる。
私は弓道をする人の中では大柄な体格で、大らかに見られることが多い。しかし、とても神経質なところがあり、左手に輪ゴムをしないと当たらないといったジンクスにも似た自分なりのルーティンを持っている。常に同じ状態を保つためにはルーティンを持っていた方が良いと聞き、相変わらず輪ゴムをしている。
そんな私でも、矢を放つ前に的に当たると確信できる瞬間がある。体がとても冴えている状態になり、今、体のどこに力が入っているかがわかり、右腕をどの位置まで引いてどこで矢を放したら当たるという、まるで空間の位置情報に体が反応しているような状態である。稀にしか訪れないこの感覚を自分のものにするため、私は毎日練習をしている。
どんな時も平常心でいられるように成長したい
桜美林大学弓道部は、練習で調子のいい選手が試合に出場でき、選手を固定することをしないので、1年生にも大会に出られるチャンスが訪れる。私は1年生で全関東学生弓道選手権に出場することができた。初めての大舞台だったがそれほど緊張しなかった。責任感の強い先輩たちに比べて私は1年生という気楽さがあった。先輩が的に矢をすべて当てる皆中賞を獲得するという活躍もあって、桜美林大学は優勝した。時期をあまり置かずに全国大学弓道選抜大会にも出場し、今度は全関東学生弓道選手権の決勝トーナメントで勝った日本大学に敗れ、ベスト8になった。たった1本の的中の違いだが、弓道では1本の的中の差が大きい。
私は、何よりこの大きな大会でチームの足を引っ張らなかったことが、自分にとって大きな自信となった。今は1年生で、あまりプレッシャーを感じず、試合に出られることが純粋にうれしいという気持ちでやっている。しかし、これからだんだんチームのことを考え、責任を感じる中で矢を放つ機会も多くなると思う。どんな時でも平常心でいられるよう、練習や試合の場数を踏んで成長していきたいと思う。