365在线体育投注-【官网直营】@

图片

データを駆使し
地域活性化や
学生の学びをサポート

ビジネスマネジメント学群

川﨑 昌 准教授


マーケティングリサーチの実務や、社会人学生として経営学の研究に従事した後、桜美林大学ビジネスマネジメント学群で教鞭を執ることになった川﨑昌准教授。データを活用しながら地域活性化や学生の学びを支援する取り組み、またそこに至った「キャリアの統合」について聞きました(聞き手:桜美林大学 畑山浩昭学長)。

「大企業には行きたくない」「30歳には独立」
の思いで、市場調査会社へ

畑山:川﨑先生は、個人事業主として働かれたり、企業にお勤めしたりした経験を持ちながら、大学院に通って博士課程を修了し、桜美林大学にいらっしゃいました。もともとは長崎のご出身ですね。

川﨑:はい。長崎の離島に、高校を卒業するまでおりました。海が綺麗で、魚の美味しいところです。

畑山:そこから遠く離れた山梨県の大学で社会学を学んだのは、どんな経緯だったのですか。

川﨑:社会心理系の学びを深めたいと思っていたんです。当時、心理学や人間関係学といった学科が流行っていたのですが、私は個人の心理にアプローチするよりも、複数人の関係性や集団、組織の動きに興味がありました。そこで高校の先生が条件に合う大学を調べて推薦してくださったのが、きっかけです。

社会心理学で扱うのは、たとえば、オイルショックでトイレットペーパーが不足した時に、買い占めてしまう人たちの心理。最近でいうと、コロナ禍でマスクが買い占められたり、米不足でお米が買い占められたりしたこともありましたよね。また、同じ人間でも、環境によって、なじめたり、なじめなかったり、活躍できたり、できなかったりする。そういったことが面白いと思っていました。

畑山:なるほど。社会心理学を中心に勉強し、卒業後はどんな仕事に就くことになったのですか。

川﨑:自分の生き方について考えた時、「大企業には行きたくない」と思っていました。スーツをかっちり着て働くイメージが、まったく湧かなかったんです。長崎の実家が酒屋で、商売をしていたのもあり、サラリーマンという働き方になじみがありませんでした。30歳になったら独立しようと思い、その前に何かスキルを身に付けておこうと考えて、中小企業の市場調査会社に入社しました。

社会人学生を経て
「キャリアを統合」し、大学教員に

畑山:「起業する」「会社をつくる」という感覚は、ご実家の影響だったのですね。市場調査の仕事とは、どういうものだったのですか。

川﨑:主に医薬品などの市場調査をメーカーから受託していました。製薬会社から依頼を受け、医師に対して新薬についてのアンケート調査や、聞き取り調査を行ったりしていました。製薬会社の名前を伏せて、「この薬についてどう思うか」「今、この薬を処方できそうな患者がどれくらいいるか」などをインタビューし、報告書にまとめてプレゼンテーションをしていましたね。

畑山:まさに、マーケティングリサーチですね。インターネットも普及しておらず、当時は大変だったのでは。

川﨑:ちょうど入社した1995年に「Windows95(※)」が登場して、個人的にパソコンを買いに走ったことを覚えています。「これは急いで習得しないと!」と思っていました。会社でもパソコンが普及し、名刺にメールアドレスが記載されるようになりました。

畑山:マーケティングの環境がガラッと変わる時期だったのですね。それからは、どんなお仕事を?

川﨑:自分が何をやりたいのか考えた時、「そうだ、中小企業で働く人を元気にするような仕事がしたい」と思ったんです。ただ、自分だけでやるのは難しそうでした。ちょうどその頃、「EAP(Employee Assistance Program、従業員支援プログラム)」が米国から日本に入ってきて、EAPを提供する会社もできました。契約企業の社員や家族に対するカウンセリングや、ストレスマネジメントといったサービスを提供するんです。いくつかの資格を取り、その会社で働いた後、独立しました。

畑山:なるほど。そして、大学院への進学という大きな転機がまた訪れます。これはどういった理由で?

川﨑:ちょうど40歳前後の頃、ボランティアで医学系の研究のための治験に協力したことがありました。次第に自分自身でもその研究を深めてみたいと思うようになり、担当の先生に申し出ると、大学院への進学をアドバイスされたんです。その先生のもとで学ぶには修士号が必要で、医学系でなくても構わないとのことだったので、興味のあった経営学を学ぶことにしました。

学費を賄う必要もあり仕事は続けたのですが、リーマン?ショックが起こった頃で、不安定な個人事業主のままでは厳しかった。タイミングよく、自分のクライアントだった企業が人事部門を立ち上げるということで声をかけてもらい、その会社のなかに入り働くようになりました。

諸事情あって、当初大学院進学をすすめてくれた先生のもとで学ぶことは結局叶わなかったのですが、修士課程でお世話になった先生から博士課程への進学をすすめられ、「やってみようかな」と。経営データ分析の研究と並行して仕事も続け、組織人事コンサルタントや調査、データマネジメントといった業務をサポートする日々を送りました。その後、博士課程で指導してくださった先生にすすめられて大学教員の募集を探すようになった折、桜美林大学の公募が目に飛び込み、チャレンジしようと思いました。40代後半からの新たな道ですが、キャリアチェンジではなく、これまでの経験を生かした「キャリアの統合」だと思っています。

畑山:そこで桜美林大学! ベストタイミングで登場しました(笑)。現在は、データサイエンスの分野を中心に教鞭を執られていますね。

川﨑:ガイダンスのような必修科目でいうと、「データサイエンス」という統計入門の授業を担当していて、130~150人の1年生を対象に教えています。また、演習系の「経営調査演習」や「ビジネス演習(DX)」なども担当しています。

統計解析ソフトウェアJMP?(SAS Institute Inc., Cary, NC, USA)のDiscovery Summit Japanでは、毎年、研究の成果を発表している(左:2016年度の口頭発表の様子、右:2023年度のポスター発表の様子)

データを活用しながら
地域に貢献するプロジェクトを展開

畑山:この新宿キャンパスで進むプロジェクトの中で川﨑先生は、新大久保商店街との連携プロジェクトにも取り組んでいますよね。具体的には、どんな内容ですか。

川﨑:JR新大久保駅前の定点カメラを用いて、駅の乗降客のデータをとり、たとえば天気との相関関係を分析したり、協力してくださる店舗の売り上げとの関係を見たりしています。因果関係があれば、「これくらいの人が来ていると、これくらいの売り上げ予測が立つ」というような分析を、学生たちと行っています。性別や年代を予測するデータも含まれるので、それらを活用して地域に貢献していければと考えています。また、商店街オリジナルのAR(拡張現実)アプリ開発にも取り組み、地域?企業と連携した実践的な学びを展開しています。

地域?企業と連携して開発した、新大久保商店街のオリジナルARアプリの表示イメージ。スポットごとにスマホをかざしてキャラクターをゲットするスタンプラリー機能や災害マップ機能を備えている
※ARアプリには新大久保商店街の天使のキャラクターを使用
※アプリの画像は開発協力会社:株式会社プレミアムアーツ作成の資料より引用

畑山:それから、学生の学びを可視化し、支援に充てるプロジェクトも手がけておられますね。

川﨑:学修支援システムの学修ポートフォリオを活用するものです。私が2020年に桜美林大学に着任した時、当時の学群長の先生を中心にプロジェクトが立ち上がっていました。学生の学修データを可視化し、成績を予測できるようにしています。半期に1回、たとえば秋学期であれば、春学期の成績や学内での活動量、出席?欠席などのデータと、秋学期の2カ月目までのデータを使って、秋学期末の成績を予測し、学生のポートフォリオにフィードバックしています。「このままいくと、学期末のあなたの成績はこれくらいになります」と示すことで、学生は「やばい!」と思ったら残りの期間、勉強を頑張るというわけです。授業の中でも予測の仕組みについて話をすると、学生たちは興味を持って聞いてくれます。

研究室でのゼミの様子

畑山:それでは今後のビジョンは、いかがでしょうか?

川﨑:前々から、「いつか大学が近くにないようなところで、若者やその地域に暮らす人々が高等教育に触れられる場をつくれないかな」と思っており、いずれはそういったことにも挑戦してみたいですね。今は桜美林大学のビジネスマネジメント学群で一所懸命、授業や研究に打ち込んでいますが、最近あらたに学内にできた「教育探究科学群」にも注目していて、関心の幅がぐっと広がっているところです。

畑山:高度な教育を、地域格差なく、どこにいても受けられる仕組みは、大学の「生き残りの戦略」ではなく、大学としての「責任」だと思います。お話を伺っていると、川﨑先生は本当に優しいですね。中小企業で苦労する経営者や、治験によって救われるのを待つ人たち、それから学校がないところにたまたま生まれた人たち——。そうした人々に、つねに目を向けていらっしゃる、貴重な方だと思います。また同時に、周囲の方々とのご縁に導かれるように、研究の道を進んでこられたのが印象的でした。

川﨑:「導かれる」というのは、たしかにあるかもしれません。本当に感謝しなければいけないと思っています。

#但し書き
※Windows95は、米国およびその他の国における米国Microsoft Corp.の登録商標です。

文:加賀直樹 写真:今村拓馬

※この取材は2024年12月に行われたものです。

関連記事

ページの先頭へ